戦争の中身

 本日です。無節操にブログ書くの楽しくなってきちゃった。調査なし、洞察なし、結論なしの山なし意味なしオチなしのごとくがいい感じです。今日の晩御飯は鯛のアラの味噌汁と、ぶり大根、アスパラサラダでした。とてつもなく料理の腕は上達しています。十数年続けるってスキルの上昇が怖い。

 

 

 仕事なあ、あると嫌だけどないと困る。どうでもいいですが、男性がたまに思ってしまう、奥さんにお金を渡しているので尊敬されるはずの理論は、会社からお金をもらっているに置き換えると、どう思われてるかが想像できて、切ないですね。 仕事ほんとにないと困る、というかお金をもらえないと困る。これからの時代に何が良いのかってのは僕も年齢柄よく考えますが、遊びを仕事にってのは地獄の釜の蓋が開きそう。エンターテイメントは無限に発散していくのでこわいです。自分の中にあるものを切り売りしてくから。あと応援される、夢を持つってのは、さらに人を追い込んでいきそうですね。

 割と好きな作家にレイモンド・カーヴァーって方がいて、価値観が変わっていく中取り残されて、アルコールにすがるぐらいしかどうにもならない人たちの生活を描く作家なのですが、時代は変われど、結局おなじことですね。今までの自分の存在意義が完全否定されて、やることもなくなり、資金もない。いったいこれからどうすればいいのかと途方にくれて空を見上げる感じです。

 

 幸いなことに僕はまだそこまで落ちぶれてもおらず、資本主義の旨味の端ぐらいにはぶら下がれているのですが、まあそれでも大差ないよね、大怪我でもしてしまえば、それで終了。何か大失敗すればそれで終わってしまうと。やり直しはきかないので、切り開いていくしかないわけです。しかしAIがのしていくと、人に気に入られることが重要になるという洞察は、残った人々がスクラムを組んでいくようで微笑ましいですね。より厳選された人々のみ従来の価値観の中では生き残る。蒸留されて、純度が上がっていきます。

 

 結局答えもないし、何か価値をあるものを作り出すことでしか、やっていけないんだろうなそれを会社でやるのか、自分一人でやるのか、何か違う組織でやるのか。必要な能力は移り変わっていくので、自分も変わっていくしかないのでしょうね。歳をごとに辛くなりますね。でもまあ0ベースで常に考えていきたい。旧来の延長線上はだいたい、船の端から伸びた古い板だったりもするので、進んでも多分下にはサメがいるだけです。船から橋を伝って陸地で何か商売でもできたらいいですね。

 

 それはそれで、喫茶店のつらい日常と人間関係が待っているのかもしれないけど。これから先の世の中で必要とされるものの中で、僕も何かに必要とされて、そこでわずかながらに呼吸をしていけたなら、まあなんとか生き延びられるのではないでしょうか。

 

 幸運を祈ります。それでは終わる。