ザッパ二号とは?

  本日もやっていきましょう。迷わないことについて思っていることを。

 

 

  時間が非常に貴重かつ、重要視される世の中になってきた感あります。映画を見るのにさんざん迷って見ないのも、変なゲームに手を出しづらくなったも、重たいものに時間を取られるのが嫌なのでついつい、よく知っているものや手軽なものに手を出しがち。じっくりゆっくりって今の正反対だよね。レイ・ブラッドベリ華氏451度にどんどん物事はスピードアップして短くなっちまうというような一文を思い出します。

 

 ※抜粋!!

「フィルムもスピードアップだ、モンターグ、速く。カチリ、映像、見ろ、目、いまだ、ひょい、ここだ、あそこだ、急げ、ゆっくり、上、下、中、外、なぜ、どうして、だれ、なに、どこ、ん? ああ! ズドン! ピシャ! ドサッ! ビン、ボン、バーン! 要約、概要、短縮、抄録、省略だ。政治だって! 新聞記事は短い見出しの下に文章がたった二つ! しまいにはなにもかも空中分解だ! 出版社、中間業者、放送局の汲み取る力にきりきり舞いするうち、あらゆるよけいな込み入った考えは遠心分離機ではじきとばされてしまう!」

 

 いい感じに近い未来が来ているなあと、ただそんな中でどうやってスピードに対応するか、僕なりに解釈を2つ。一つは、迷わないです。冒頭のこりんさんの意見にも賛同。知識があれば迷わない。そしてさらに知識から感覚まで昇華させればさらに迷いません。良いか悪いかで考えると、思考、判断、決定になりますが、好きか嫌いかなら決定、終わり!非常に早い。いいか悪いかは知りません。でも速度が他の欠点をカバーすることは多々あるので、迷った時は好きか嫌いか、その二択で決めてます。とても楽だしね。もちろん思考、知識を持った上での感覚です。なければただのバカですから。

 

 もう一つは、時間の影響を受けにくいもの、変わらないものに価値を見出すこと。携帯はスマホになり、そのうちさらに他のなにかに変貌しそうですが、コーラはコーラです。何も変わらない。味覚は極めてアップデートされにくい。伝統的な文化もそうなのかも。競争は激しいかもしれないけど、変わり続けることよりは楽かもしれません。そう人間の本質は絶対に変わらないという確信あります。妬み、喜び、愛情、肉欲、思いつく限りでも過去から本質は一緒です。この辺に根ざしているものは残り続ける。本質を取りに行こう、そこにアクセスできるようになろう。

 本質にたどり着くには、どうすればいいのかな、ひたすらに考え続けるしかないのかな。本を読み、散歩をして、時には誰かに話してみるのもいいかもしれない、でも大事なことは必ず自分で決めること。自分の頭で考えること。コントロールできる領域を増やしていき、重要な物事を自分の範疇から外れたところで、人任せにしないこと、めんどくさくても、辛くても。

 

 戦いは終わりませんが、何か達観した目と、自分をより高みに連れて行ってもらえれば、何かが切り開けるのかもしれない、それとも人間の世界は結局何もかも同じで諸行無常の響きが、聞こえてくるだけなのかもな。ただ、どこかに何かがあると信じていたい。それはまだ続いている。

 

 とりあえず、本日のブログは終わる!