サイゼリアで一服
本日思ったこと。しかしまあツイッターは考えてることを僕よりはるかに上手く、たくさんの人に通じるように言語化してくれる人がいるのでとても助かる。
どれだけ「これからは動画の時代だ!」などといっても、動画から得られる知見が文章から得られる知見を上回ることは絶対にないので、多くの人が情報伝達度が高くなった動画から情報を取り入れる故に文章を読めなくなる時代が来るからこそ、文章の読み書きスキルはこれまでより相対的に価値が高くなる、
— プロ奢くん(裏アカ) (@taichinakaji) 2019年5月14日
動画で得られる知識は時間あたりに直すと、とても少なくなると理解。前にも書いたけど圧縮していないわかりやすい情報をそのまま受け取るだけなので、読解力は下がり続けていくと思う。そうなると情報収拾能力でも二極化していくのかな。文章、数字、グラフなんぞから読み取る層と、動画、テロップ、釣りタイトルに煽られる層。年収も分離していきそうです。幸せの度合いはどうなんだろう。正義の怒りに点火され続けたらなんか生きてるの辛そうね、満足度も低そうだ。
幸せに生きるには、社会的つながりと、自己肯定と、あとなんだろ衣食住の保証ぐらいでいいのかな、大まかには。細かく詰めていくと自分のやることをきちんとコントロールできていることってのも大きいのかなと思います。ワクワクしているとか楽しいとかも重要。労働時間の長短と給料の有無はあまり関係ないのかも。年収で800万ぐらいで幸せは飽和するって研究結果もよく引き合いに出されますね。まだちょっと届かねえなあ、幸せ。世帯ならなんとかなるのか、世帯ないけど。
話題は飛びますが米中関税合戦で、株価は微妙に下がっていますが、資本主義が終わらない限りアメリカの優位は揺るがなそうなので、適当な企業に分散投資して配当もらっていれば、割と美味しく生きていけると思います。考えてみれば、これも農業的な考えなのかもしれない。種まいて肥料やって、毎年なる実を食べ続ける。配当金は3%うめえなあ。1000万で30万ですよ、給料1ヶ月分ぐらいに相当。ビジネスできる人だと、1000万の使い方はもっと変わってくるのだろうけど。繰り返しになるけど資本主義が終わらない限り、株式のシステムは相変わらず美味しい仕組みだと思う。その先の価値主義の時代にはわからないけど、メタップスの人が言っていた価値主義もSNSでの評価などをベースにしている以上、企業の存在は無視できないんだよな。そうなると結局資本主義上の手のひらの上で踊っているだけな気もする。ネットワークが消えない限りシスコは消えないだろうし、人が生きている間はインフラは残り続ける。それならその辺の株主になって利益を分けてもらうのが、資本主義上で生きている正解なんだろう。
嘆いていても何も始まらないし、ほしいものも手に入らない。どうしたら良いのか考えて、失敗しても動かなくては。何かをしないと。次のステージに上がろうと僕も必死なんだ。
価値主義の時代、SNSでの知名度や売れるものがない場合、そこでの投資ポジションが何かあるはずなんだよな、雇用者、経営者、投資者の三本柱で基本成り立っているはずだから。今はまだ雇用者兼経営者みたいなサイズだけど、きっとそのうち分離しそう。そうなると投資者のポジションを取りに行くしかない。残念ながら前の2つはすでに勝負がついてしまった気もするので。自分の資産を正確に把握して、次の勝負を挑んで行くしかない。ためておいても良いけど、それだけじゃつまらないからね。何かをまだ始めたいと思うんだ。
サイゼリアでミラノ風ドリアも食べたので、今日は終わる!!